デジタル化の波は不可逆–「ヒトの摂理」に反しないサービスが生き残る



 連載の第2回は、人類のデジタイゼーション(本稿では”デジタルテクノロジによる変革”と定義)の歴史をちょっと振り返ってみようと思う。筆者自身が生まれるはるか前、時は1950年代後半の日本にさかのぼるが、豊かさの象徴であった3つの生活必需品を「三種の神器」と呼んでいた時代があったのをご存じだろうか。

 白黒のテレビ、冷蔵庫、洗濯機が当時の三種の神器であり、そこから10年も経たないうちにカラーテレビ、クーラー、カー(車)の「新・三種の神器」が提唱され、「3C」と呼ばれた。

 2000年代にはデジタルカメラ、DVDプレーヤー、薄型テレビの3つを「デジタル三種の神器」として呼ぶ声が上がり、その後も小泉純一郎元首相が演説で「新・三種の神器(食器洗い乾燥機、カメラ付携帯電話、薄型テレビ)」と発言してみたり、家電メーカーが「キッチン三種の神器」を提唱したりといった歴史がある。長らくこの”三種の神器”という言葉は、「ちょっと背伸びして買うもの」を集めた広告上のキャッチコピーとして人々の耳に残ってきた。

 さて、ここで改めてデジタル三種の神器を見てみると、既に「懐かしさ」を感じるレベルではなかろうか。冷蔵庫や洗濯機といった、ジャンルが確立された生活必需品に比べれば大変もの悲しい限りである。それでも当時はフィルムカメラとVHSビデオデッキとブラウン管テレビを”デジタル”の名の下に表舞台から退場させたのである。

 もし現代の20代~30代の消費者に改めて「現世代の(生活必需品としての)デジタル三種の神器をどう定義するか」と問うとどうなるだろう。多くの人がまず最初にスマートフォンを挙げるのではないかと推察するが、よく考えてみればこれは薄型テレビとDVDプレーヤーとデジタルカメラの要素を併せ持ったものであり、三種の神器が合体して(もっと他の”神器”も合体されているが)できたものと捉えることができる。

 合体・統合された今、敢えて別々に所有する意味を見出しにくいので、今では”神器”の資格を失ってしまったのである。さらに10年後にはもっとたくさんのものが統合されているかも知れないし、その頃の主役はスマートフォンではない可能性が高い。

 このように、われわれはデジタイゼーションの歴史の中で、不可逆で元には戻れない大きな流れを何度も感じて来たのである。デジタルテクノロジは日進月歩であり、陳腐化のスピードも並みではなく、今後もその傾向は続くことに疑いの余地はない。

 そして、ただでさえ並々ならぬスピードで進化するデジタルテクノロジを、さらに加速させる世紀の大発明が存在する。そう、他ならぬインターネットである。



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